- ありがとう、マロンパラダイス【大学院〜社会人期】
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2015.08.24 Monday上京〜福井に戻った後、音楽の楽しさを伝える活動をしたいと思うようになった。
音泉組とは、ちょうどその頃に出会った。
音泉組の活動は、当時は公衆浴場や旅館のロビーで演奏することが多かった。
他のメンバーもお客さんも、父親以上の年齢の方が多かったため、歌謡曲のレパートリーが増えていった。
音泉組では歌謡曲。マロン、路上ではオリジナル。
いつの間にか、そんなスタイルが定着していった。
そうすることで、自分自身も改めて音楽の楽しさに気づく事が多くなった気がする。
オリジナルに固執しない事で、また違った曲作りが出来ているように思う。
社会人になって、結婚して、子供をもって、自分自身のステータスが変わっていったというのも大きい。
高校期、大学期、上京期、社会人期。
長文駄文のブログを経て、改めて高校時代がついこの間の事のように思える。
その中で確実に変わっていった部分の方が多いだろうし、真摯に自問自答しながら向き合ってきたつもり。
だけど、この長い時間を思い返せば「何が変わったんだろう」と思う事ばかり。
そう、根元の部分は、ゆずが大好きだった高校時代と何ら変わってないんだよね。
純さんが引退するまでの1週間は、こんなことばかり考えていた。
ラスト弾き語りの日のMCで言いたかったけど、この長さはスピーチになってしまうと思ったので辞めた笑
代わりに曲にして、唄ってきた新曲。
後日、歌詞アップします。
さてさて、前に進みましょ
- ありがとう、マロンパラダイス【上京期】
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2015.08.12 Wednesday【上京期】
大学の友人が社会人生活をスタートさせる中、
僕だけが東京でのフリーターとしての生活をスタートさせる。
真面目な(笑)僕の性格をよく知ってる友達には、よく驚かれた。
上京したはいいものの、何のアテもなかった僕は、
暇ができると必ず、渋谷駅のハチ公前・裏口のコインロッカー前、NHKホール前で路上ライブをしていた。
そんな生活をしばらく続けていくうちに、シンガーソングライターの知り合いが増えていった。
その中の一人が尾上明範君。
彼との出会いは、僕が知り合いの弾き語りライブを見に行った際。
知り合いの対バンが彼だったわけだけど、
何処か自分と近いものを感じたんだよね。
演奏する曲も歌声もプレースタイルも、まるで違う。
彼は島根県出身で、同じ田舎出身だったからかな。
その半年後、ライブを見に来てくれてから、
お互いの田舎の話や、音楽観の話をよくするようになった。
似たような境遇に親近感が湧いたし、
東京が少しづつ好きになってきたのも、彼と出会ってから。
オリジナルの「頑張る人へ」は、これを機に書いた曲なわけですが、
自分の音楽の根っこになった曲だと思っています。
この曲をキッカケに、尾上君とユニット「コトノハ」を組んだし、
先日の純さんのラスト営業日でも歌えたし、映画のエンディングにも起用して頂いた。
多くのキッカケを与えてくれる曲で、未だに新鮮な気持ちで歌える。
まだまだ発展途上の曲ですね。
思い返せば、この頃に作った曲は、とにかく気持ちに忠実に描いた詞が多い。
「頑張る人へ」もそうだし、「stage」もそう。
節目に歌うと、たまに胸が苦しくなるね。
脱線したけれど、路上ライブを始め、ライブハウス、オーディション等々、
給料のほとんどを音楽に充てていたため、東京での生活はとにかく貧乏だった。
体重も、今より20Kgも軽かった(笑) だけど、心から充実した日々だった。
そうそうできない経験ですね。約1年半の活動に見切りをつけて、福井に戻る。
僕が東京に行ってる間に、マロンではオープンマイクイベントを始めるようになっていた。
マロンのお客さんも、オリジナルを演奏する人が増えてきて、
お客さんこそ変わったものの、やはりマロンはマロンだ。
深夜1時、2時くらいまで、あーでもないこーでもないと言う演者に付き合ってくれる。
東京にこんなお店はなかったので、福井に戻ってきたという感覚があったな。
相変わらずF1も継続して開催されていた。
この頃から玉置浩二を敬愛するようになり、
クラシックギターでの玉置浩二弾き語りをよくしていたものだ。
懐かしついでに、ライブ動画をあげておこう。
2009年「F1 selection」での映像。
当時、24才か。若いな。。。
1.祝福
2.おいでよ 僕の国へ
3.しあわせのランプ
次回、【大学院・社会人期】に続く。。。
- ありがとう、マロンパラダイス【大学期】
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2015.08.10 Monday高校時期の僕の音楽は、昼休みの音楽室、もしくは福井駅地下道が全てだった。
マロンに出会って自分がどれ程、井の中の蛙だったか思い知らされた。
まだまだ知らない音楽が溢れているし、視野を拡げなくては。そんな気持ちでいた。
その数か月後、僕は大学に入った。
当時、僕はバンドというものに魅力を感じていなかった。
アコギ一本の方が歌い手の気持ちが率直に届くし、歌に重なる楽器は邪魔だとさえ思っていた。
うん、若かったね。
そんな気持ちでいながら、他の楽器に触れて、何らかの可能性を見つけようと軽音サークルに入った。
マロンでは2,3か月に1度のペースで、弾き語りイベント「F1」が開催されていた。
毎回、12,3組程度の出演者であふれ、本当に毎回、盛り上がっていた。
当時の弾き語りは、往年のディープなフォークソングを歌う人が多かった。
僕も多くの影響を受けて、春夏秋冬やなごり雪、いちご白書等は本当によく演奏した。
心地よかった。
そんな生活を1年ちょっと。
この振幅の広い音楽生活に、心が疲れてしまった。
元々、音楽で何をしたかったのか。
そんなことを考えるようになってから、軽音部を辞め、マロンに顔を出すことも無くなっていった。
ギターさえも触らなくなっていった。
3年生になって、谷川穂高君と出会った。
当時mixiが流行っていて、そのツテで彼の路上ライブを見にいった。
生活感がにじみ出る彼のオリジナルに心を打たれ、
「flowing」や「ミンミンゼミ」等、高校時期にコッソリと書いていた曲を歌っていこうと決意した。
もちろん、オリジナルを初めて披露したのはマロンパラダイス。
マロンに再び通い始めるようになってから、作り溜めていた曲を披露するようになった。
今でもそうだけど、オリジナルを演奏するって結構勇気が必要で
自分が目の前で丸裸になっている感覚だし、何よりも聴き手の反応が怖かった。
純さんは、当時から曲に対する率直な感想を言ってくれて、時折凹みもするけど何より原動力になった。
大学を卒業するまで、このサイクルは続く。
改めて自分がどれ程音楽に救われているか痛感したし、その素晴らしさを伝えていきたい。
自然とそう思うようになり、大学卒業後、音楽しかしない時期を作ることを決めた。
上京期へ続く。。。
- ありがとう、マロンパラダイス【高校期】
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2015.08.03 Monday長年、お世話になり続けてきた居酒屋ライブハウス マロンパラダイス。
店主の純さんが引退されるということで、7/31はラストのオープンマイクイベントでした。
僕が店に到着した9時半には、すでに満席状態。
誰が招集したわけでもないのに、総勢24組もの歌い手が集まり、本当に賑やかで忘れられない夜になった。
MCでも話したが、前週の弾き語りイベント「裸の魂」が終わってから、何を歌おうか、ずっとそわそわしていた。
今までのマロンでも思い出が多すぎて、セットリストを2順・3順と練り続けた。
【セットリスト】
1.ないものねだり(新曲)/南本智哉
2.マルキドピエールの光と影/高田エージ
3.頑張る人へ/南本智哉
ギター歴15年のうち、マロン歴13年と、自分の中ではマロン=ギター歴という事もあって、たった3曲で表現するのは難しかった。
そういう訳で、マロンパラダイスの思い出を、つらつらと残してみようかなと思います。
ダレトクですね。まぁ、ブログってそういう物と割りきって。
【高校期】
思い返せば僕がマロンパラダイスに初めて足を運んだのは、高校3年生の時。
春江にカラオケやライブイベントができる居酒屋があるという事で、親友の父親に誘われ、足を運んだ。
ライブハウスどころか居酒屋も初めてだった僕は、ドキドキしながら中の見えないお店の扉を開いたことを今でも覚えている。
当時、お酒も飲めないし、カラオケにも抵抗があった僕は、軽いカルチャーショックを受けたな。
翌年の高校卒業前。
当時、ゆずのコピーユニットを組んでいた相方から、卒業前に思い出作りの為のライブをしたいとの提案があった。
人前で演奏したのは文化祭の時位で、ライブがどういうものなのかも、どうやればいいのかもわかっていなかった。
そもそも高校が田舎なので、どこにライブハウスがあるかも知らずに、思い付きで挙げたのがマロンパラダイスだった。
今でこそ当たり前だけど、当時からそのようなライブを引き受けていなかったように記憶している。
お店の平常営業をクローズして、ライブ経験もない高校生二人組の為だけに貸切。しかも、ワンマンライブ。
当時はあまり深く考えてなかったけど、本当によく実現させて頂けたものだと思う。
ライブが終わってから、飛び入りで演奏されたブルース大御所、Mさんの演奏を見て、またまたカルチャーショックを受ける。
ブルースは当時、僕も演奏していたけど、上手さだけでは埋められない何かがあったし、
それが何なのか分からないモヤモヤで、飛び入りでMさんとセッションをした。
もちろんセッション自体も初めてで、何をしていいかもわからないし、結局モヤモヤは残ったままだった。
オーナーからアドバイスを頂き、歌い方を指摘され、「なごり雪」を課題曲に挙げてもらった。
以降、毎週マロンへ足を運ぶようになり、フォークソングの魅力にどっぷり嵌っていった。
次回、【大学期】に続く